ねこひらさんの研究所

総合政策修士のねこひらさんの日記です

君主論から歴史を考える~マキャベリズムの考察~

家が危機に陥った場合、政治家は(国家存続の)目的のために有効ならば、手段を選ぶべきではない

 

これは決して、「政治家は国家存続のためにどんな手段を使ってもよい。例えそれがどんな卑劣な手であろうとも」という意味ではないのです。国家を維持するためには、時には周囲から反感を買い、嫌われることがあっても、後々に国家や国民のためになるようなことなら、憎まれるようなことをすることも必要だということで、卑劣なことを推奨しているわけでは決してないのです。。

例えば、

徳政令

という法令があります。

いわゆる「借金をチャラ」にするという制度です。

鎌倉幕府の中で臣民の統制の基本にあったのは「御恩と奉公」だったわけです。個人的には「働いたらその分給料を与えますよ」という考えより「幕府(国家)のために投資(奉公)したら、その分の見返り(御恩)は元本保証で与えますよ」というほうが説明としてはしっくりくるのではと、私は思うわけです。

結果、元寇などの戦いで御家人は私財を投じ国を守り、手元には借金だけが残ったわけです。幕府方は本来なら領地拡大や録を与えたいところですが、国内の与えられる土地はすべて御家人に分配済みで、録を与えるにも幕府も財政的に余裕があるわけではなく困窮するわけです。

結果永仁の徳政令を発令し、借金はチャラになるも、「どうせ御家人さまにお金を貸しても、いずれは徳政令で踏み倒される」という貸し渋りもされ、更に御家人の財政は圧迫されるわけです。こうして、御家人にも民衆にも不満がたまり、最終的には鎌倉幕府は滅亡してしまうわけです。

嫌われないようにごまをすった結果が、このような結果になったわけです。

 

選挙にだれに投票したらいいかと考えた場合、民衆に媚を売るような政策を言っている議員は、個人的には胡散臭いと思うわけです。逆に「増税はするが、その分みんなが納得いく使い道をする、その為には手段は選ばん」という人のほうが信頼できると思うのは私だけでしょうか・・・。

 

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